大判例

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大阪地方裁判所 事件番号不詳〔2〕 判決

主文

被告人を懲役拾五年に処する

押収に係る菜切庖丁一丁(証第一号)はこれを没収する

押収に係るナイロン製財布一個(証第二号)及び現金百二十一円五十銭(証第三号)は、これを被害者宮崎奈良江の相続人に還付する

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

被告人は大阪市私立明星商業学校卒業後、大阪市東区南農人町二丁目の黒野共佳堂印刷所に住込店員として働らき、昭和十年十二月十日頃現役兵として入営して以来終戦当時迄、一時軍属として大阪師団司令部経理部に勤めた以外は殆んど兵役に従事してゐたが、その間昭和十九年頃現在の妻静子と結婚し、昭和二十年九月十五日頃復員してからは、食糧品や衣料品等のブローカーをしたり、同市住吉区安立町一丁目で喫茶店を経営する叔父の手伝をしたり、或は同区浜口町にあつた松本製パン店の職人となつたり、或は又進駐軍の警備員として勤務し、昭和二十四年十二月頃には被告人の従兄青山某が販売部長をしてゐた三菱鉛筆大阪販売部の販売員として勤務する様になつた。併し、その頃から被告人は次第に競輪に凝り始め、其の後昭和二十五年四月頃から堺市鉄砲町二丁目浪速製パン店の職人として働らく様になつてからも競輪はやみつきとなつて仕事に熱が入らず、勢い勤めも怠り勝となり、その為、間もなく同店をやめるのやむなきに至り、昭和二十六年五月中旬頃前に勤めてゐた事のある松本製パン店の主人松本吉種の経営する大阪市住吉区粉浜本町二丁目松本食品工業所に再び雇はれる事となつたのであるが、競輪への熱中は益々その度を加え同工業所から貰う給料も殆んど競輪に持つて行く様になり、その為に子供三人を抱えた被告人一家五人の生活はとみに窮迫し、主人の松本吉種からは二万五千円位を借り受け、その他近所の人や知人等から千円、二千円と借り歩き、借金が嵩めば嵩む程、被告人は一掴千金を夢見て愈々競輪に夢中になり、前記食品工業所の自転車を売りとばしてはその金を持つて競輪に行く等のこともあつて、遂に同年九月六日頃同所を解雇せられる事になつた、その結果、被告人一家は極度に生活費に困窮し、借金取りは再三催促にやつて来るし、どうして今後の暮しをたてようかと思い悩み之が為神経衰弱気味になつて居た折柄同年九月十日の晩妻から「家にはもう一銭の金もなく、食べる物は何もない、貴方が競輪を止めてくれねば私も考えがある」と訴えられ、これが脳裡を離れず焦慮の挙句、いつそ強盗に入つて脅かした上、金をとつてやらうと決意し、翌十一日午前十時過頃、肩書自宅の台所にあつた菜切庖丁(証第一号)を懐中に忍ばせ、大阪市住吉区浜口町東二丁目二十六番地宮崎奈良江(当時五十三年)方に赴き、玄関口に出て来た同女に対し所携の前記菜切庖丁を突き付け「金を出せ」と申向けて脅迫し、同女が恐怖の余り声を立てて救いを求めようとしたので直ちに玄関の間に上り「声を出すな、出すと危いぞ」と申向けたが尚も同女が救いを求めるので矢庭に左手で後方から同女の口を塞ぎ玄関の間から次の間の方へ上りこみ、同女を押倒して馬乗りとなり、更に右菜切庖丁を示して「騒ぐと危いぞ、金を出せ」等と申し向けたところ、同女が「出します」といつたので被告人は同女をはなし、右庖丁を畳の上に置いたが、突然同女は右庖丁を取り上げ更に大声を出して救いを求めるので、周章狼狽の末、叫び声をとめ、発見逮捕を免れる目的で、咄嗟に殺意を生じ、同女を奥八畳の間に引き摺り込み、右庖丁で同女の頸部を二回程刄を下にし、押しつける様にして斬りつけ、頸動静脈切断による大出血の為即死せしめた上、同家三畳の間にあつた現金百二十一円五十銭(証第三号)在中のナイロン製財布一個(証第二号)を強奪したものである。

(証拠説明省略)

法律に照すと被告人の判示所為は刑法第二百四十条後段の強盗殺人罪に該当する。仍て量刑の点に就て考えてみると、(1)被告人は判示の如く犯行数日前より神経衰弱気味に陥り、兇行当日は多少通常の平静心を失つてゐたものと認められること(此のことは証人八木静子の証言竝本件犯行が白昼而も相当人家稠密の場所に於て行われたこと等の情況を併せ考えて之を認め得る)、(2)被告人の殺意は計画的のものではなく、之は主として被害者が老婦人であるに拘らず至つて気丈夫で、判示の如く被告人の再三の制止にも拘らず大声で隣近所の救いを求めたため、周章狼狽した被告人が其の叫び声をとめ、其の発見逮捕を免れようとして発作的に起した瞬間的、偶発的のものであること、(3)被告人は若し競輪などをしなかつたならば一応、妻及び子供三人の一家の生計を支える位の収入はあつたに拘らず競輪に狂つた許りに生活費に窮し、妻子に責められ、本件を犯したものであつて、固より其のこと自体は被告人の責任であり、何人も恨むべき場合ではないが、然し之を社会全体のあり方としての立場から考えるならば、元来競輪というものが、健全な国民経済生活の観点からみて至つて不適当なものであり、而もそれが屡々家庭悲劇乃至は犯罪の原因になつてゐることは半ば公知の事実であるに拘らず、尚依然として之を存続せしめてゐる現代社会が之等家庭悲劇乃至は犯罪に対し全然何等の責任なしとは謂い得ないものと思われる点、其の他被告人には前科なく、平素の勤務振りも精励であつたことや、家庭の情況等を参酌するときは本件は強盗殺人罪ではあるが、情状憫諒すべきものありと認め、所定刑中無期懲役刑を選択し、更に刑法第六十六条、第七十一条、第六十八条第二号に依る酌量減軽をして、被告人を懲役十五年に処するのを相当と思料する。そして押収にかかる菜切庖丁(証第一号)は本件犯行の用に供したもので、被告人以外の者に属しないから、刑法第十九条第一項第二号第二項によりこれを没収し、ナイロン製財布一個(証第二号)、現金百二十一円五十銭(証第三号)は本件犯行の賍物で、被害者に還付すべき理由が明らかなものであるが、被害者が死亡しているので刑事訴訟法第三百四十七条第一項により、これを被害者宮崎奈良江の相続人に還付し、訴訟費用は同法第百八十一条第一項により全部被告人に負担させることとする。

よつて主文の通り判決する(昭和二六年一二月二〇日大阪地方裁判所第一刑事部)

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